折り合いのつけかた

2005年8月12日
ではなぜ俺は、好きでもない人間が、日々身体を売り、
汚い男に弄ばれてることに、同情と憤りを禁じえないのか。

きっと、他者、ひいては社会と自分との距離をうまく
調節できないのだろう。
というより、友達にそう言われているし、なるほどなぁ
と思う。

世の中には身体を売る女が存在し、買う男が存在し、
そいつらにも両親がいて、教育を受けて成長してきている。
机上ではわかっていても、関わると混乱してしまうのだ。
普通は、これが噂の売春か、で済ますところを、俺の場合は
混乱を生じさせて、体力を消耗してしまうのだ。
これはよくないことだと思う。
身体を売る女も、買う男も、別に悪い人ばかりじゃないだろう。
法的にどうかは知らないが。需要があって、供給があるんだから。
レイプとかしてる奴らよりは全然マシだろう。
けれども、どうしても耐え難いというか、
関係ない他人だからと片付けられないのは何故なんだろうか。
人は人、自分は自分、それを身体に染み付けるべきなんだろう。
多分。そうしないと身が持たん。
俺は別に世直し屋でもなんでもない。他人の風紀に口出す
権利なんてあるわけないし、自分だってろくでもない卑猥な
考えを持つ俗人なのだから。
ただどうしても、昔従軍慰安婦などで辱めを受けた人々の
痛み、また、売春・買春してる人たちの両親のことなどが
思い浮かんでしまう。
食うに困るなどありえないこの国で、なんでそんなに金が
ほしいと思うかなぁ。

・・・・と、そんなことより自分の人生考えろ。
ともう1人の自分が言った。
だから・・・生きるのだ。今日からまた。

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